吾輩は野良である。
「キツネ顔で、白と赤茶の被毛が稲荷寿司に似ている」などという理由で、
蔵のあるじに「いなり」と命名された。
数ヶ月前より蔵のあちこちを散策しているうちに、体が丸みを帯び、毛艶が良くなってきたようだ。
蔵を訪う人間が「きれい」「かわいい」と口にすることも珍しくないが、吾輩は決してすり寄ったりしない。
野良の沽券にかかわるではないか。人間との距離は1メートル、と決めている。
あるじも月子も無理にその距離を詰めてこようとしない。目をじっと見つめたりもしない。野良との付き合い方を心得ている、と言ってもいだろう。
かように人間には珍しく良識のある二人が「稲荷は穀物の神だから気位が高いのは仕方がない、あれはチビッコいなり様だ」と話しているのを聞いた時には、さすがの吾輩も申し訳ないような心持ちがしたが、あえて聞こえないふりをした。
野良としての矜持が許さないではないか。
などと格好をつけてみたが、実は、四肢を伸ばして無防備に寝転んでいる吾輩を盗み見て「むふ〜っ」と鼻息を荒くしている月子の気配を、あとしばらく愉しみたいのだ。